気にしたもんが負け
うおぉしまった先に書かれたorzってなったけど、自分の下書きと見比べたら、同じとこで引っ掛かってんのに全然違う方向性になっててワロタので、加筆修正なしにそのまんま公開しますね……w
先日、とある飲み会で、
「自己肯定感ってなんなん?w」
「そんなんわざわざ考えたことないしw」
と言われて、目うろこポポポポーンになった人ですこんにちは。
なるほど、改めて言われてみれば、
私はことあるごとに自己肯定感が高まるうう!
と口走っては、それを「いいこと」の代表、
錦の御旗のように掲げていたけれど、
そもそもそれ自体が
己の過剰な自意識の産物だったという話でござるか。
…………た、たしかにそうでござるな。
と、酒をかっくらいながら
しばし反芻してしまいまして。
(あ、反芻したのは酒じゃなくてセリフね)
自己肯定感を高めること自体は、
べつに悪くないとは思うわけですよ。
世間の風潮だってそうじゃないですか。
自己否定してうじうじしててもはじまらないし、
そこから派生する過度な他者への承認欲求は
しばしば鬱陶しがられる傾向がある。
それならば、自分で自分を承認してた方が
はるかにめんどくさくない人じゃないですか。
(まあ行き過ぎて人の話をきかなかったり、俺/私の正義を他人様にまで押し付けだしたら、ヤバい人認定されるわけですが)
他者に必要以上に迷惑をかけず、
(たとえそれが傍目には滑稽であろうとも)
己の持ち分に満足して、
日々を機嫌よく過ごしていられるのならば
「とてもいいこと」だと思っていたのでありますよ。
ただし、ただしだ。
黙ってやってれば、だ。
私の場合は、それを完全に内部完結させずに
ちょくちょく口に出すからタチが悪いんだな。
言われて気づいて大いに膝パーカッションだわ。
それこそ、他人にとっては100パー
知ったこっちゃない話なのに、
わざわざ引っ張り出して
勝手にイキられたって知らんがなって話で。
なんで内部完結してりゃいいことを
わざわざ表面化させたがるかっていう悪癖について
しばし考えてみたのですが、おそらく、
「私は自己を肯定しておりましてそれで充分なのでどうぞほっといてくださいませ世間一般のお代官様……(と好感度を気にして下から目線で書いては見たが、上から目線で完結に言うと「文句言うな」)」
という先手を打って
安心する気分になるからなんだろうなぁ。
他の同席者の「プライドが高い」という評価も
非常に的を射てる。
脛にたーくさん持っている傷を、
不意なところから攻撃されたくないんだ。
んで、自己肯定という名の脛あてを
ガシャガシャと身にまとって
一生懸命防御しているつもりなんだけれども
おまえ歩くたびにうっせぇわ、ってな話ですよ。
おそらく、冒頭の彼らは
なにかが不用意に脛に飛んできても
その場で黙って金属バットで打ち返すか、
あるいは脛にかみついたなにかをぶら下げたまんま
マイウェイをゴーイングするんだろうな。
てか実際にわりとゴーイングしてるしな。
このポジモン(ポジティブモンスター)どもめ……。
とはいえ、一朝一夕には
そんなすてきポジモンはゲットできんので、
せめてガシャガシャいわさないように
気をつけて往来を歩きたいものですよ。
他人にかまってくれとも言わないし
他人を攻撃するわけでもないし
自分で自分を褒められる私えらいオトナうぇい、
くらいの認識でいたけれど、
その実、漏れ出た過度な自意識を的確に指摘されると
なかなかに赤面ものでした。
……おもしろかったw
(この文章まるまるが、重装備の脛あてでないことを祈る(という鎧装着の儀w))
(ってなことを気にしだしたら、なんも書けなくなるじゃないか……そもそも自意識の産物であるこんな個人日誌でさぁ……)
(とはいえ、まぁまぁみんななにかしら赤っ恥なとこはもってるんだよこの年になってもさぁ……知らんけどさぁ……)
(あ、そういや、冒頭で加筆修正しないとか大見得切っといてあれなんですが、なんか後日談では、「そのまんまのキミでええんやでw」的なまぁまぁいい話風のニュアンスになってたけど、その場でくらったのは、「おまえめんどくせえ!!」という身も蓋もないセリフだったことだけは、この場で申し添えておきたい)
業務連絡:「今年度中」の目標があっさり達成されましためでたいw なんかご褒美クレw