うはうはの残滓
頭打ちになんじゃね?と書いたのですが、
まだしつこく、カス的なものを絞り出しております。

お……おおお……。
1年以上サボり倒してたのに、
この速度で走れるのか私……(ビビる)
正直まだ、貧血ひきずってた一年ちょいの
しんどさの記憶が強くて、
あと無理してお腹痛くなったら嫌だったりで、
ペース走やったるで!とか
インターバルかかっててこいやー!
みたいな気分には全っ然なれないので、
気持ちいい範囲で気が向いたらちょっとがんばる、
でもあくまで楽しくがんばるだから、
スタート時はペースを決めずに
ビルドアップで~……みたいな
言い訳の余地をたくさん残した
往生際の悪いスタイルでやっております。
この日もスタートは家の前(6分/km)から
徐々に上げてこのタイムだから
もうちょい絞り出したら
まだ伸びしろの余地はあるかなぁ……(強欲)
ちょうど1年前に、キロ5で5km走ったら
死にそうになったのを最後に
速く走ることから遠ざかっていましたが、
体調がまともなら、
さほど努力しなくてもそれなりにはできるんだな。
(必死でやらなきゃいけないしんどさなら、そもそも趣味になんてしてないわけで)
とはいえ、まったく何もしてなかったかというと
そうではなくて、
しんどいしんどい言いながらも
しつこく走ることを継続してきたから
術前術後の明らかな変化を体感できるくらいに
走れるようになったのだとは思うのです。
走る習慣をなくしてしまっていたら
もう一度走り出すまでのハードルは高くなっていただろうし
戻ってきた感を味わうこともできなかったかもしれない。
それはまぁ、努力と言ってもいいのかもしれない。
……いや違うな。
本質的には努力なんて大層なもんじゃなくて、
そりゃ走れないことが謎ではあったけど、
きっと私は速く走ることにあまり重きを置いてないから、
別に速く走れなくても走ること自体が嫌にはならなくて、
なんだかんだ言いながら苦痛じゃなかっただけだな、
と思う。
苦痛じゃないからできるだけだ。
(それなりに一生懸命走ることには重きを置いてるから、それができない状態はちょっと苦痛だった)
んでもって、だからこそ、
タイム的なものはあんまり伸びないのだけれど。
でも、それでもいいんじゃないかと思う。
やってて楽しいことが趣味だもの。
それがいい悪いは置いといて。
少なくとも私にとっては。
そういえば、先日、
苦痛と、速く or 長く走れることとの等価交換、
という表現を見て、
しばらく、うーん……と
考え込んでしまったのだけれど、
理屈ではすごくよくわかるんだけど、
なんとなくしっくりこないのはなんでだろうと思って、
ああそうか、私はそもそもあんまり苦痛と
等価交換してないんだな、と思い至った。
どっちかっていうと、走る快楽のおまけとして
速く or 長く走れるがついてきた、って感じだ。
そりゃおまけは多い方がうれしいけども。
半年後、一年後にどう思って走っているかは
まだ分からないけれど、
今しばらくは、うれしいうれしい言いながら、
遺跡(新コース!)を走り回ろうと思います。
ご近所ランナーさんたち(というかご夫婦)が
こぞって1kmTTやってらっしゃるから、
私もこっそりやりたいなぁ……。
全力はまだちょっとこわい。

先週末よりちょい早く走れたので喜んで
長い時間お散歩してたら、
河川敷を永遠にウロウロウロウロウロウロウロウロ
している人たちを偶然見かけました。


おまけのパワーショベル軍団。
密であった。
いつも応援いただきありがとうございます。

