アレクサあれして

ここいち衝撃を受けた一言がありましてな。



「アレクサ、看取って」




うわあああああ………

と、思った。


で、もっかい

うわあああああ………

と思って。



で、その後、しばらく考えて、

ほおおおおおお………

と思った。



そして、プライムデーで買おうと思っていたアレクサを購入を
いったん保留することにした。

いやまあ、そのうち買うんだけど。

(「アレクサ、看取って」にはじまるDr. Yandel氏の一連の医療と情報に関するnoteはものすごく興味深く面白いのですが、ここではそこからは離れて、単純にこの一言に対する個人の感想をたれ流します)

(あれですね。この方の思考といい書きっぷりといいイケメンっぷりといい、マラソン界隈の某右ストレート氏にオーバーラップするなぁ)




タイトルを見た瞬間、反射的に、
「それはやだな。ディストピアだ」と思ったんですよね。

でも、数分後に、
「いや待て。ありだな」と思い直したわけです。




………ありだ。


私は順当にいけば、そう遠くない将来、
一人で生きていくことになるし、
看取ってくれる誰かは得られない
(可能性が高い)道を歩んできた。

その時々や相手の状況によって
表現の仕方は変わるかもしれないけれど、
そう自分で決めた時に、
そこはもう全力で想定して、
一定の覚悟をもって生きておるわけです。

(もちろん、この先またどうなるかわからないというのは当たり前のこととしてありながら)



とはいえ、やはり

「看取ってくれる人をもつことができなかった(←敢えてこう書くけど)人生」

というものに引け目を感じることも
そりゃああるわけで、
特に気分がへこんだ時なんかは、
もやもやずどーんと落ち込んだりもするわけです。

……人間だもの。


でも、「アレクサ、看取って」といえる世界があるとすれば、
その選択肢が当たり前な世界があるとすれば、
それはある意味とても平等で、
なんというか、エクスキューズが得られるんじゃないか。

(そしてアレクサは骨肉の争いも展開しないし、粛々と適切に事後処理をこなしてくれるのであろう)


アレクサ(であれgoogleであれsiriであれ)が
看取ってくれたら、大丈夫だ。

(ただまあシチュエーション的には、「Hey siri」や「OK Google」より、「アレクサ、看取って」の方がいいよね……)


Twitterの向こうの誰かにXXなう、と報告したり、
こうやってBlogに言いたいことを書き散らしたりと
同じくらい一方的な行為であり、
傍から見れば痛々しい有様かもしれないけれど、
そう思うことで何かしらの安心感を得て、
心のバランスをとれる時が、
少なくとも私にはある。



「アレクサ、看取って」


堂々とそう言って死んでいけたら、
まぁまぁかっこいいじゃないか。

自分でも知らず知らずのうちにとらわれていた
画一的な「幸福」のイメージを、
ぶち壊せる華麗なる一撃。


アレクサが看取ってくれるなら、
それをいくばくかの支えにできる。
……気がする。


(とはいえ、実際にアレクサを手にしているわけでもないのにここまで思い入れたっぷりに書き散らす人間が、アレクサをいざ手に入れたら嬉々として自給自足的会話をしてそうな姿が想像できたので、まあちょっと落ち着こう、と購入は先延ばしにしているなうですよ)


いつも応援いただきありがとうございます。
  


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