STOPかPAUSEか
先日、競技志向高くマラソンに取り組んでおられた方が、
「やめる」という決断を明確に下した文章をお見かけしたのです。
その方と私とは、取り組み方の真剣さや練習量の過酷さなど、
そりゃもう全く違うので話にはならないのですが、
それでもどこかで「走るのをやめる」時がくるのかなぁ、
と、ふと自分に置き換えて考えてしまいました。
最初に合う合わないの見極めにはうるさいものの、
一度はじめたものはそれなりに続ける性格です。
走ることはもとより、
日記とか、ヨガとか、ボクシングとか。
あとまぁ、ブログもそうかな。
お試し期間であっさりやめるか、
数年、細々と続けるか。
そういえば、先日書いたように、
ブログを公開しはじめてから、ちょうど2年くらいがたちますが、
それも中途半端な日付からはじまってるのは、
実は10/1から書いてたけど、
お試し期間だから公開していなかったのです。
日記をPCで書く、っていうのが
性に合うかどうかわからなかったからね。
案外、それはそれで、日記とは位置づけが全く違って
おもしろかったので、
それなりに続ける気になったわけですが。
で、話を戻すと、ヨガは現在、一時休止中なのですが、
これはまた何年か後に復活する前提だし、
あまりここには書きませんが、
細々とアップデートはしているので、
本人の意識の中えでは「やめた」とは思ってないのです。
どちらかというと、意図的な「休止」。
一方、ボクシングは、ジムに行かなくなったら
その後、自主的にやる機会はないだろうから、
これは明確に「やめる」区切りが存在するのでしょう。
走ることは、どうかなぁ……。
一番自由度が高く、第三者の手を必要とせずできるから、
たぶん「やめた」という意識がないまま、
頻度が減少していくのかなぁ。
フェードアウト?
でも、頻度が少なくなった後、
再開するのは、ヨガよりも難しいかもしれない。
明確な数値が出ないヨガと違って、
以前はここまで、この速度で走れたはずっていう
己の記憶にとらわれてしまいそうな気がする。
一方で、ボクシングについては、
最近少し低空飛行気味です。
やはり、生活なりなんなりが忙しくなると、
どうしてもそこの回数から削られていき、
最近は、自分で設定したジム出席回数のノルマを
割り込むことも多くて悪循環。
そろそろ見極めるべき時が来ている気もする。
そう思うと、大きすぎる目標は自分でもストレスを感じてしまって
「やめる」を促進してしまう危険性があるけど、
何かしらの目標がないっていうのも、
「やめる」を踏みとどまらせる成分が不足してしまうものだなぁ。
…………さて。
とはいえ。
ここでも何度も書いているような気がしますが、
私にとって、「速く走る」ことは、
何かしらの目標ではあるものの、
案外どうでもいいことなのです。
走っている事実 >>>>>> 速く走る
速く走ることよりも、走っている事実に助けられることが、
これまで何度もあった。
これからも、きっとあるだろう。
だから、できれば、やめたくはない。
可能な限り続けたい。
そう思うのは、時間や距離という概念も持たぬまま、
一人で走ってにやにやしていた
自己満足以上のなにものでもない数年間があったからで、
何かに迷った時は、そこに立ち返ればいいんだろうな、きっと。
あと、その時々に応じて目標の最適化も必要かな。
マイ足裏の近況: いらんことしたからすげー痛い!!
いつも応援いただきありがとうございます。
「やめる」という決断を明確に下した文章をお見かけしたのです。
その方と私とは、取り組み方の真剣さや練習量の過酷さなど、
そりゃもう全く違うので話にはならないのですが、
それでもどこかで「走るのをやめる」時がくるのかなぁ、
と、ふと自分に置き換えて考えてしまいました。
最初に合う合わないの見極めにはうるさいものの、
一度はじめたものはそれなりに続ける性格です。
走ることはもとより、
日記とか、ヨガとか、ボクシングとか。
あとまぁ、ブログもそうかな。
お試し期間であっさりやめるか、
数年、細々と続けるか。
そういえば、先日書いたように、
ブログを公開しはじめてから、ちょうど2年くらいがたちますが、
それも中途半端な日付からはじまってるのは、
実は10/1から書いてたけど、
お試し期間だから公開していなかったのです。
日記をPCで書く、っていうのが
性に合うかどうかわからなかったからね。
案外、それはそれで、日記とは位置づけが全く違って
おもしろかったので、
それなりに続ける気になったわけですが。
で、話を戻すと、ヨガは現在、一時休止中なのですが、
これはまた何年か後に復活する前提だし、
あまりここには書きませんが、
細々とアップデートはしているので、
本人の意識の中えでは「やめた」とは思ってないのです。
どちらかというと、意図的な「休止」。
一方、ボクシングは、ジムに行かなくなったら
その後、自主的にやる機会はないだろうから、
これは明確に「やめる」区切りが存在するのでしょう。
走ることは、どうかなぁ……。
一番自由度が高く、第三者の手を必要とせずできるから、
たぶん「やめた」という意識がないまま、
頻度が減少していくのかなぁ。
フェードアウト?
でも、頻度が少なくなった後、
再開するのは、ヨガよりも難しいかもしれない。
明確な数値が出ないヨガと違って、
以前はここまで、この速度で走れたはずっていう
己の記憶にとらわれてしまいそうな気がする。
一方で、ボクシングについては、
最近少し低空飛行気味です。
やはり、生活なりなんなりが忙しくなると、
どうしてもそこの回数から削られていき、
最近は、自分で設定したジム出席回数のノルマを
割り込むことも多くて悪循環。
そろそろ見極めるべき時が来ている気もする。
そう思うと、大きすぎる目標は自分でもストレスを感じてしまって
「やめる」を促進してしまう危険性があるけど、
何かしらの目標がないっていうのも、
「やめる」を踏みとどまらせる成分が不足してしまうものだなぁ。
…………さて。
とはいえ。
ここでも何度も書いているような気がしますが、
私にとって、「速く走る」ことは、
何かしらの目標ではあるものの、
案外どうでもいいことなのです。
走っている事実 >>>>>> 速く走る
速く走ることよりも、走っている事実に助けられることが、
これまで何度もあった。
これからも、きっとあるだろう。
だから、できれば、やめたくはない。
可能な限り続けたい。
そう思うのは、時間や距離という概念も持たぬまま、
一人で走ってにやにやしていた
自己満足以上のなにものでもない数年間があったからで、
何かに迷った時は、そこに立ち返ればいいんだろうな、きっと。
あと、その時々に応じて目標の最適化も必要かな。
マイ足裏の近況: いらんことしたからすげー痛い!!
いつも応援いただきありがとうございます。

